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ノブケイン
というバンドの曲が好きです。もともと角松敏生さんのプロデュースで80年代後半にCDがリリースされ、20代の頃よくウォークマンで聞いていました。笑 その後、カセットテープのウォークマンからCDウォークマンに、さらにMD(小さくて便利だったなぁ)、最近ではもうデータに入れて聞いていますが、その初期のメンバーから2人が昨年後半、今月と鬼籍に入ってしまわれました。(あとお一人、すでに10年以上前にご他界) 通勤電車の帰路、その路線の事故により運転を停止してしまったため別の路線に乗り換えるべく少し歩いて帰宅した日の朝刊の訃報欄で知り驚きました。 疲れていたにもかかわらず、5年前の角松敏生氏の横浜アリーナでのポンタさんの雄姿を久しぶりに見て一人、追悼いたしました。 信吾さんは角松氏の「Legacy of You」でも大活躍されておられ(ノブケインで知ったのが先だったかな)、思えば昨年の角松氏の「Earplay」で角松氏と一緒にジャケットを飾っておられたのが印象的です。 ポンタさんは以前の記述の通りですが、88年のBefore the Daylightのツアーで、日によってツインドラムで参加されていたのが初めてだったかな。 (当時は携帯はもちろん、ポケベルもネットさえなく、日によって内容の違う角松氏のライブが鳥肌ものでした) もうリアルタイムでは演奏を聴けないけれど、今はきちんとDVDになって演奏が残っている。 その有難さに感謝しながら、いつまでも心して聴き続けていきます。合掌。 |
麒麟がくる
コロナ禍のため2月まで放送された2020年度の大河ドラマである。 「歴史は勝者によって作られる」のは自明ですが、今までは謀反人とされていた主人公にスポットライトを浴びせたこの作品に心から拍手を贈りたい。 噂として有名な光秀→天海説までは書かれなかったが、光秀氏の考え方が家康氏に受け継がれたというストーリーには納得させられた。 ともあれ、「歴史は勝者によって上書きされる」ことはいつの世も不変であり、本当にその人がどう考えていたのかを推測することはとても大切であることを改めて認識させられた。 2021年度の大河ドラマでは、慶喜氏「言いたいことはそれだけか」に対して栄一氏「山ほどございます」に同感。笑 |
Before the Daylight is the most darkness momemt in a day
1988年2月にリリースされた角松敏生氏のアルバム(CD)の題名である。その1曲目の「I CAN GIVE YOU MY LOVE」が、氏が今月リリースする「EARPLAY〜REBIRTH 2〜」に収録されるという。その音源が本日の氏のラジオ番組で初披露された。その内容、特に冒頭は表記の「Before the Daylight」とそのRemix版(「Voices from the Daylight」に収録)の両方で聴いたことがあるような感じで、鳥肌モノの最高な仕上がりであった。 ところで、表記のCD「Before the Daylight ~is the most darkness momemt in a day」はまさにバブル絶頂期の発売。しかし、その社会的風潮に抗うようなアイロニー的内容を持ったこのCDは、当時20歳になったばかりの私には刺激的で、かつ手放せない一枚になっている。(当時のオリコンチャートの2位を記録) 私自身はこのバブル期に大学生となったが、当時のイケイケの風潮とは全く無縁な生活で、とてつもない素朴な毎日を過ごしていた。こんなバブル期の社会的狂演はいつか終わり本質を問われる時が来る、そういったメッセージを感じられたこのCDの雰囲気に同感していた記憶がある。 さて、現在の状況。自粛が要請されている現在、まさに「Before the Daylight ~is the most darkness momemt in a day」ではないだろうか。 「臥薪嘗胆」という言葉がある。意味を調べると「復讐のためにあらゆる苦心に耐えること」「目的を成し遂げるため成功を期待して苦労に耐えること」とあり、別に何かに復讐しようなどとは思っていないため、まさに今は「目的を成し遂げるため成功を期待して苦労に耐えること」の時期ではないだろうか。 似たような言葉に「冬来りなば春遠からじ」があり、いずれにしても「苦を知らなければ楽も感じられない」「苦しいことがあっても必ず良いことがある」「明けない夜は無い」ということになるだろう。時々思い出して肝に銘じたいものである。 外出規制の今こそ「目的を成し遂げるため」の絶好の機会であると思う。 鳥肌モノの「I CAN GIVE YOU MY LOVE」を聴いて32年前の気持ちを思い出したと同時に、妙に今と重なる気分にさせてくれた。 この時期を無駄にしてはならない。むしろ絶好の機会であると。 |
to be or not to be、東京少年少女、Tokyo Tower
角松敏生さんの新作「東京少年少女」を落手しました。CDの題名からはどんなものだろう?と思っていましたが、1曲目の「to be or not to be」で安心するとともに再び素晴らしい曲に巡り合えたことに感動しました。とてもかっこいい! SHIBUYA、IZUMOなどのスピード感のある曲が好きな自分にとって大ハマりです。(精神年齢があまり年取っていない私にとっては)詩の内容もフィットしますし、こういう気持ち、すごく良く分かる(未だにそう。笑)。そのアンサーソング的なタイトルチューン「東京少年少女」もスピード感が良く、詩の内容も頷くことばかり。そしてボーナストラックの「Tokyo Tower」。最初から良すぎて涙モノのバックボーカルとのバランス。シャイン~の所も最高です。 存在の証明、INCARNATIOのようなターニングポイント的なアルバムが大好きな私にとってはこのアルバムのアイデアや方向性も大好きです。素敵なCDをありがとうございました。また1年がんばれます。笑 |
せごどん
なぜか近代史は好きではなく、大河ドラマでも幕末を扱ったものは熱心に見ていなかったのですが、せごどん!はとても感慨深い作品でした。西郷さんを良く知らない頃のイメージは銅像でしかありませんでしたが、二度も遠島にされていたのはこのドラマで初めて知りました。 奄美編の映像が素晴らしかった(オープニングも奄美編から変わったのも感動)のは言うまでもなく、西郷さんはこの二度の遠島で生死を彷徨っただけではなく、人の温かさに触れたことで人間としての深みが増したように思います。(史実では色々とあるようですが、私はこのドラマのストーリーを鵜呑みにしたい) やはり辛酸舐めることで人としての暖かさが増すということでしょうか。よく「試練を超えられる人にしかその試練は与えられない」などとも言いますが、その試練を超えられない場合だって当然あり、その場合はその後の人生がないことにもなりますので、あまり賛成できません。しかし、西郷さんは試練を乗り越えたことで偉業を成し遂げたとも考えられます。学ぶことが多かったドラマでした。まさに「人間万事 塞翁が馬」で、良かれと思って目指したことが良くなかったり、最悪と思うできごとが好転するきっかけになったり、だから人生は面白いとも言えます。40才頃までの私には到底理解できない諺ですが、今なら十二分に理解できます!笑 |
Breath From The Season 2018 ~Tribute to Tokyo Ensemble Lab~
今年も角松さんの新譜の発売が決まったという。 この作品も30年ぶり。もちろん、30年前も良く聴きました。 一日限りの日比谷野音でも演奏されたのを今でも覚えています。 30年前の作品の曲に加えて、他のアルバムからもオリジナル作品がビックバンドのアレンジで収録されるとのこと。 その収録される曲にお気に入りの曲が多くて、今から楽しみでたまりません。 SHIBUYA、Can't You See、Gazerは思い入れの強い曲です。 SHIBUYAは解凍後のTIME TUNNELで最も好きな曲。原曲でもテンポが良いのにビックバンドアレンジでさらに豪華になるとは。 Can't You Seeは、初めて本格的に足を運んだ「夜明けまで~(後略)~」ツアーで、横揺れのビートの利いた曲(あくまで主観です)で、 ライブで聞いて好きになった曲。 そして、Gazerは「Incarnatio」収録で、自分の中で最も好きな曲です。 このIncarnatioは、All is Vanity、存在の証明、The Momentと同じくらい好きなアルバムですが、このGazerの詩が特に素晴らしい。(曲も) 本当に好きな詩の部分をひらがなでお伝えします。 「だれだそこでみてるのは したりがおでわらってら いまじゃみんなきづけない だれもすたーきどり やさしいねいろがくちはてていくよ」 もう15年前の作品になってしまいますが、この詩の部分、まだ、いや以前よりも一層、警鐘になりますね。 Gazerばかりが多くて、やさしいねいろは朽ち果ててしまいます。 |
SEA IS A LADY 2017
敬愛してやまない角松敏生さんの表記アルバムが日本ゴールドディスク大賞のインストゥルメンタル部門で受賞したという一報を目にした。 実際に2017年はこのアルバムを聞きまくった。30年前の1987年と同様に。 この受賞に対する角松さんのコメントが秀逸でした。 「このような作品を支持してくださる聴き手がいらっしゃるということこそが、実は本当の価値であり、この賞はそんなお客様の感性に対してこそ贈られるべきものと存じます。」と。 このコメントで目から鱗が落ちたような気がします。 自分の仕事でも、授業に対して履修学生からのアンケートが実施されていますが、まさに「高評価を書いて下さった方々が素晴らしい」ということになります。 このような考え方で臨むと、違った感じ方になります。勉強になりました。 授業アンケートは個人が特定できないため個別にお礼を言うことはできませんが、高い評価や温かいコメントを書いていただいた方々に深く御礼申し上げます。 ところで、先日、角松さんのファンクラブ限定のイベントに参加しました。 当初の応募期間には出遅れてしまったものの、二度目の募集に応募して参加することができました。 その中で、約500名中10名に当たるどらやきに当選しました。 直前に「もしかして当たるかも」と感じていましたが、本当に自分の席番号が呼ばれて。 3年前の新譜発売に関連したイベントでも当選し、サイン入りのポスターをいただきました。 この時も「もしかして当たるかも」と感じていました。 良いことの予感は続けたいものです。 角松さん、ありがとうございました。この場をお借りして御礼申し上げます。 |
カッシーニと日本史とボイジャー
無人探査機カッシーニは9/15の夜、土星の大気に突入して燃え尽き、20年に及んだ任務を終えたという。 土星まで計画的に衛星が飛んで行き、遥か宇宙空間にも関わらず映像を送ってくることも驚きだが、個人的には「20年の任務を終えた」という言葉に哀愁を感じずにはいられない。 思えば、小学生の頃に「地球」という図鑑を買い与えられたのが宇宙との最初の関わりであったように思う。 その後に買ってもらった「宇宙」の図鑑とともに毎日眺めていたことを思い出す。 その後は親戚の家にあった日本史の図鑑を読み漁ることになるのだが。。 結果として宇宙も日本史も生業にはできなかったが、趣味として続いたのも良かったと思う。 どちらも多感な高校~大学生の頃は遠ざかっていた。 しかし30代になった頃、学会発表で北九州に行った際に何か焦っていたのか早く着いてしまい、現地で時間が空いてしまったことがあった。 せっかく遠くまで来たのだから何か見学してみようと思いマップを広げた所、小倉城という字が目に入った。 23区内出身のためか郷土史という概念に乏しく、日本史と言えば授業で習った知識程度だった自分には小倉城の見学は衝撃的だった。 江戸時代はその地域の殿様がいたりその地域特有の歴史がある、という当たり前のことに気が付いたのだ。 それから何かの折に触れて日本各地の城や歴史博物館を渡り歩いた。 その地域のそれぞれの歴史があることが、真綿が水を吸うかのように染み入っていった。 それに比べると「宇宙」からは遠ざかっていた。2014年に幕張で開催された宇宙博がそのきっかけである。 その時、子供の頃に憧れたアポロ計画などの宇宙計画の詳細とともに、宇宙天気予報という展示があった。 環境の授業では地球の生い立ちや大気圏について説明するが、その際に「宇宙」が関わってくることになる。 特にオーロラの発光から電磁波の説明につなげるが、オーロラの原因は太陽風であるという説明も欠かせない。 最近、太陽風はニュースにも取り上げられているが、私自身は上記の宇宙天気予報の展示を目にするまで太陽風の存在を知らなかった。 意外な所で役立つ知識もある。 カッシーニより先に木星付近を通過した人工衛星があった。ボイジャー計画である。 ボイジャー1号、2号はすでに40年も飛行し続けていることに驚いた。 ボイジャー1号は2015年には太陽から約195億km離れたところを太陽との相対速度で時速6万kmで飛行中であるという。 さらに驚くべきことには、2012年8月25日に太陽系を出ていたことが1年後に発表されたようだ。 ボイジャー2号がほかの恒星に接近するのは今から約4万年後だそうだ。 単純に考えれば4世代で100年間としても、4万年もの間には1600世代後ということになる。 ボイジャーには地球の音というレコードが搭載されているらしい。 この記録を別の生命が目にする頃には人類は果たして。 もとよりボイジャーが宇宙に飛び立ったころ、自分はまだ小学生であった。 40年も宇宙空間を飛行していることにも驚くが、PCもIT端末も一般に普及していなかった頃にこれだけの人工衛星を飛ばせたことにも驚きを隠せない。 宇宙空間を考えると日頃の喜怒哀楽などの小ささに気が付くが、やはり今を生きる上では日頃の喜怒哀楽を無視できるほど器が大きくない。 しかし、たまに宇宙のスケールに接することも大切だと思う。 そしてボイジャーと言えば、ユーミンの同名の曲が脳裏に流れて、何でもできそうな気がした大らかだったあの頃を思い出してしまう世代でもある。 |
待ちに待った
SEA IS A LADY 2017を購入し聞きながら。オリジナルは1987年。なんと30年ぶり。 オリジナルも感動もので何度も聴いていましたが、今回もさらに感動もの。 生きてて良かった。。。 当分、ヘビロテ間違いなし。 と角松さんのことを書いても特に同意していただける方が身近にいないのですが。笑 初めてきちんとライブに行ったのが、角松さんのこのCDのオリジナル版1987年のツアーでした。(有明コロセウム) それから30年も経ったのか。。。 そして30年後の今年、再びSummer Medicine for YouのVol.3のツアー。 もちろん行きますとも。二回も。笑 今年は、一昨年に行ったレベッカのツアーもあるし、楽しみです。 |
35th Anniversary + ポンタさん(Dr)
6月の快晴の土曜日、横浜アリーナに行きました。 角松敏生さんの35th Anniversaryのコンサートです。 5年前の30thはちょうど仕事があって行けなかったため、なんと10年ぶりの横アリ・・・ 新横浜駅は新幹線に乗るためによく利用していたが、下車するのも10年ぶり・・ 駅前はまったくきれいになっていました。 角松さんのコンサートそのものは十分に心の栄養になりましたが、この日の一番の収穫は、 久しぶりに村上ポンタ秀一さんのドラムを見れたことでした。 楽器素人の私にはプロの方の演奏はすべて美しく聞こえるのですが、 ポンタさんのドラムは何か違います。心にズドンと来るというか、そのオーラなのか。 責任問題だらけの現世においては、「俺に任せろ」的な頼りがいのある上司というのもいなくなってしまいました。 むしろ、責任を押し付けてきそうな方ばかり。。(実際にそうでしたが。笑) そんな中で、ポンタさんの「俺について来い」的な存在感は、本当に魅かれます。(あくまで妄想ですが) 今回は遠くから見ていたこともあり、見逃してしまったのかもしれませんが、 1987年からポンタさんのドラムを(角松さんのライブで)見てきた私にとって、 演奏途中にスティックが宙に舞う姿がとても格好良かったのを憶えています。(おそらくスティックの交換なのでしょうが、宙に舞ったのを見た時にはすでに新しいスティックで何事も無かったようにに叩かれていたのも格好良かったです。) そして、角松さんの35th Anniversaryの副題は「逢えて良かった」 さすがにお互い、年取ったなと思わせる副題ですが、もう二度と会わなくなる人も多い中で、結構大切なことだと染み入りました。 |
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