誰の眼にも触れないと思うので、たまには本音でも書いてみようかと思う。 数年前から妙に涙もろくなってしまった。特に少年の話(自分に男の子がいるので)や、人の苦労話に弱い。 私は昭和育ちなので「男は泣くな」を叩き込まれてきたので、学生の頃には卒業式などでも妙に冷めていたが、人生半ばを過ぎて精神年齢が退化しているのでしょうか? 大好きな野球シーズンも終わり、我がイーグルスは日本一後のまさかの連続最下位となった。 しかしながら、相変わらずの粘りの試合の数々には大いに楽しみ勇気づけられたのだが、先日も1人、本日の最終ゲームで2人の投手の引退の投球+セレモニーがあった。 最終日のほうは一般にはたぶんあまり知られていない投手なので詳細を省くが、イーグルスファンであれば知らない人はいないほどの貢献した投手たちである。 (日本一前のピーク時であったCS初進出時に貢献している。私がファンになったのもこの頃。) 海の向こうに渡ったあの投手ほど脚光は浴びていないが、ここぞという時に粘りの投球を見せてくれたが、今年は故障で出場が無かったらしい。 そして、このような場さえ用意されないで去っていく選手たちが多数いることも気に留めておきたい。 見せ場として、各投手が打者一人限定で登板した。その時からこれらの投手たちがグラブで目を拭く様子を見て、私も涙腺が緩んでしまった。 セレモニーはゆわずもがなである。 今いる所から去る、何かを止める、誰かと別れるということは、そこで努力した人ほど、感慨深いものがあるのは間違いない。 私がこれらのことに涙腺が緩むようになったのは、私自身が「去る」「止める」「別れる」ことを経験したからなのだろう。 特に、上記の投手たちの苦労したシーンも知っているから(試合上だけだが)、引退に至るまでの努力まで思いが馳せてしまう。 ところで、実は私は少年期はご多聞にもれず巨人ファンであった。というより、当時の東京のテレビではほとんど巨人戦しか放映されなかったからである。 その後成長してから、しばらく野球を見ない時期が20年近く続き、特定の球団を気にすることもなかった。 しかし、2009年のイーグルスの快進撃を目にして、この球団は。と注目を始めた。 私はなぜイーグルスファンになったのか考えてみた。 オーナーの企業には思い入れが無い。むしろライバル会社から本を買うことが多い。(笑) さすがに日本一の年はスーパースターが何人かいて、彼らの活躍は心強かったのだが、彼らが去った後でも試合を見てしまうのはなぜだろう。 あと、Nさんの後は監督に魅かれていることもない。ということは選手である。 一般にはあまり注目されない選手たちであるが、彼らの不器用だけれど、ド真面目なひたむきさが好きだ。 思えば自分もそうなのかもしれない。 天才、世渡りがうまい人、腹黒い人も何人も見てきた。彼らはそれで成功したのかもしれないが、どうも好きになれない。 一方の自分は、鈍才、世渡りが下手、腹黒い人に騙されやすく、簡単に人を信じてしまう。 しかし、自分もヒトなので時には失敗もする。けれど、その何十倍も努力し貢献してきたことを自分が一番良く知っている。 もう人生も半ばが過ぎて、折々の体の衰え(骨折とかぎっくり腰とか。笑)はもう否定できない。 そのような中で今さら急に天才にもなれず、二枚舌になったりとか、酒豪で人付き合いが良くなるとか、世渡りがうまくなることもない。 そうだ、自分の性格を否定せずに愛して生きて行こう。 時に失敗しても、基本はド真面目で、世渡りが下手だけど努力を厭わず、人の苦労話に簡単に涙してしまう自分を。 今を精一杯がんばるんだ。そして年月が経ったら自分で自分にお疲れさまと、ひとり引退式+セレモニーでもしてみようかな。 かつて、自分が亡父に思ったように、息子たちにも私の思いがいつか、伝わるように。 そして、教育者としては、自分と同じの、ド真面目だけど努力を厭わない学生を精一杯支援してあげたい。これは前から変わっていませんが。 |