実践女子大学は創立時から女子大学なので、当然、私にとっては受験対象外でしたが、その名はずっと以前から印象にありました。 本学に着任することになり、その場所やらいろいろと調べていくうちに、ふと高校の卒業生名簿を探し出しました。 (卒業生名簿など現在ではありえないものですが、個人情報がそれほどとりだたされない頃に発行されたものです。) すると、驚くことに、高校の弓道部の同級生や後輩が進学していました。 その方達とは部活ではほとんど関わりが無かったのですが、おとなしい方達だったのは覚えています。 なるほど、実践っぽい学生だったのではないかと。 今でこそ、私の出身高校から実践に進学する生徒数は若干名のようですが、私の年代ではそれなりに進学していたようです。 (当時の大学偏差値なるものを見ると、当時は文学部と家政学部だけでしたが、結構上位! 女子大の御三家の次くらいの位置だったようです。) (実は女子大のランクに詳しくなかった着任時の私の実践のレベルは、このようにかなり上位の認識でした。笑) 一方、本学の歴史を紐解いてみると、日野に全学年が移動したのが、ちょうど私の大学進学年度(高校卒業の次年度)。 当時はまだ開けていない日野校舎へ、私の部活の同級生や後輩は通っていたのだなと。(遠い目) そして日野という場所。 私は日本史好きですが、幕末はちょっと疎かったので、日野駅を降りたのは着任前の面接が最初でした。 でも、中央線では山梨方面の旅行の際には通っていたはずですし、駅から校舎までの間を横切っている中央高速も何度も通っていたはず。 まだ、世の中、知らないことばかりですね。 一方、渋谷の校舎。こちらは2014年に生活科学部以外が復帰、ということで新しい校舎ですが、 実は、この横道は何度も通っていました。 古くは父親の手伝いで車を運転して(港区が主なルートでした)。 最近では10年ほど前に近隣の高校訪問の後に乗った渋谷駅行きのバスで。 ○年後に、ここで授業するとは思ってもみませんでした。(渋谷でも週1で授業してます。) 人生、先が見えない方がおもしろいものですね。 |